第125号(平成16年6月1日)


素材の魅力を活かした小物づくりに励みたい

 佐賀錦の糸を求めて

多摩シルクライフ21研究会会員
 
多摩シルクライフ21研究会会真 坂 節 子

 最近のある夜、眠りにつく真際に読んだ文章の一節に『織り手にとって良い糸を得る事は、詩人が、自分の詩にちりばめる50の美しい言葉をもらったようなもの』という言葉がありました。

 夢うつつのような記憶で、その前後の内容も誰の文かも全く思い出せないのですが、何と美しい例えでしょうか。

 私は佐賀錦という織物を織っていますが、その良い糸を求めて試行錯誤を繰り返してきました。細かい綾織を綺麗に織り出せる、均一でやや強い撚りのある糸に、草木染めの為の灰汁精錬をしたいのですが、それができるところもなかなかありません。欲しい糸は、何年待っても仕上がってこないまま時が過ぎました。

 そんな時、東京の純国産繭から糸作りをしている多摩シルクの会との出会いがありました。会員の方達の繭から糸をひくところを見せて頂いたのも得がたい経験でした。やっと思い通りの生繰りの糸を手にした時、次々と染めたい気持ちをおさえ難い程でした。それから、半年かけて帯を織り上げた時は、まさしく「美しい言葉」をもらった思いがいたしました。佐賀錦のこと

 佐賀錦を織っていて、経糸にあたるものが、和紙だという事を知らない方が多いのに驚きます。今、手織りの佐賀錦はほとんど見ることが無くなっているので無理もないのかもしれません。

 佐賀錦の起原はそれほど古くはなく、江戸も後期、佐賀鍋島藩の九代夫人が、檜の薄板を網代に組んだ組み天井を見て、それを織物にしょうと考えたのが始まりといわれています。

 織り機は、大変シンプルなもので、39cm×55cmほどの織台を使い、竹の箆ですくっていきます。経紙は、純粋な手漉き和紙に漆、本金箔、プラチナ箔などを押し、細かく切れ目を入れたものです。

 山辺知行先生によりますと、平のままの和紙を使う織物は他にもありますが、全て緯に用いられていて、これを経に使う例は世界でも佐賀錦だけだそうです。さらに山辺先生の文章を引用させて頂きますと、「恐らく織物の技法として最も素朴、原始的なもので、すべての織物の基本であると同時に、どんな複雑な組織でも織り出すことのできるものである。

 (略)無理をすれば紙経糸が捩れたり切れたりしてしまうであろうから、その作業は全て織り手の指先の手わざで、掬い箆と押し箆を使って為されなければならない。(略)常に織り糸を庇いながら、これと一体となって織り進んで行く無心の境地には、倦怠もなければ退屈もない。経の平金紙と、緯の多色な絹糸との交錯によって作り出される豪華な美しさは、反面、金糸と色糸との密な重なりによって互いにその派手やかな光と色が相殺されて、そこに自ら気品の高さが織り出されていく。」と述べられています。

 その昔、佐賀錦のお稽古は行儀見習の手段にもされていたそうですから、必要なのはただ根気だけです。初めのうちは緯糸の引き加減に注意を怠ると、織り幅がどんどん縮んでしまい、織り始めと終わりで綾の形が違ってきてしまうなどということも起こります。以前先輩の方に、どうしたら縮まないで織れるか伺った時のこと、「それはね」と優しく答えてくれました。「注意して織ることよ」と。

 その時は、浅はかにも答えになっていないと思いましたが、織り進むうち、全くそれしかないのだと分かってくるのです。綾の取り間違いも5ミリ位織ってからでないと見えないのですが、見なかったことにして織っていくと、結局解いてやり直すことになるのです。「急がば回れ」ということが身をもって、頭と手の間でしっかりつながってきます。

 複雑な図案になると1日2、3センチしか進まないこともあります。図案を作る時は、だいたい織物以外のもの、焼きものや絵、自然などから発想しますが、それを2ミリ方眼の幾何模様の中で展開させていく難しさがあります。

 作っては試し織りをし、また直して織り、時間はとてもかかるのですが、織り地の上に少しづつ現れてくるものを見るのが面白く、細かい作業ですが、不思議とあきません。古くからの綾の図案もたくさん受け継がれていますが、今見てもモダンなものです。

 佐賀錦というと、絢爛豪華で、柄も複雑な正装用の帯、和装バッグを想像しますが、私は渋くて、シンプルで粋なものを作っていきたいと思い制作しています。素晴らしい素材ですから、これを活かすことができれば、充分これからの時代に誇れるものになると思います。

 佐賀錦を裂地として楽しめるのは帯ですが、素材の面白さが生きるのはバッグやコサージュなど小さい物です。シンプルに革を使って普段使いができるバッグを仕立てたいのですが、表地に合った仕立てのできるところがなかなか見つからないのが悩みです。

 8月25日から30日まで、日本橋高島屋で「日本の絹展」(仮題)が予定されています。
 長く受け継がれて、美しい歴史と伝統を持つ日本の染織文化、それを支えてきた絹の技術ですが、今ではなかなか手に入らない貴重な絹糸になってきつつあります。他の伝統工芸に関してもそうですが、絹糸にまつわる様々な仕事も、受け継ぐ人が無くなりつづけています。

 その大切な絹糸をいただいて、その絹糸を使える幸せと、同時にその絹糸に恥じないもの作りをしているか常に自分に問いかけています。その気持ちを共有する日本各地の国産絹糸の作品が集結するわけですから、たくさんの刺激が頂けるのではないかと今からとても楽しみにしています。
☆海外で販売する日本人デザイナーたち☆
素材や縫製など「日本発信」が高い評価
日本繊維新聞社  市 川 重 人


 東京コレクションを中心に活躍する若手・中堅デザイナーたちが、海外市場で着々とビジネス規模を広げています。資金・企業力の小さいデザイナーブランドが、海外で販売するには相当の労力が必要なのですが、彼らは海外市場に対して積極的なスタンスで臨んでいます。そのキーワードになっているのが「日本発信」というもの。素材や縫製、ディテールなどで、日本の高いクオリティーをアピールしています。

 01年、東京コレクションにデビューし、女性の内面にある変容性をウエア化する「カミシマ・チナミ」(デザイナー、カミシマチナミ氏)は、世界に通用する服づくりを目指し、日本と海外で売り先を拡大しています。現在、国内での取引先は約60店舗に増加。さらに海外での販売は伊、仏、英、ベルギー、スイスなどへ拡大し、パリで行った展示会「アトモスフェール」でも高評価を得ています。

 「カミシマ・チナミ」は、北海道・札幌の縫製工場、ティスリーで展開されているブランド。元々は、国内デザイナーズブランドやアパレル企業のブランドを手掛け、不況と言われる札幌の企業の中で活発なビジネスを行っていました。
 しかし工場側がオリジナルブランドのデザイナーを探しているときに、同郷でがんばっていたカミシマさんと出逢い、本格的なビジネスをスタートさせた。

 欧州では、工場が展開するブランドは「ファクトリーブランド」と称され、高い品質を訴求する形でブランドを提案しています。そして、同社が目指すのは日本型ファクトリーブランドの構築。今でこそ世界的トレンド発信の中心地であるイタリアもフランスの下請け的立場だったことから、日本でも同様にカミシマチナミさんとの二人三脚で“札幌発”の世界ブランドにする方針です。既に日本素材や縫製が評価を受け、海外で順調に販路を開拓しています。

 東アジア地域で販路を開拓しているのが「テ・アッシュ・デ・ラ・メゾン」(THD・デザイナー、畠山巧氏)です。畠山氏が海外市場を意識し始めたのは、東京・原宿に直営店を出店した時点まで遡ります。30平方?と決して広くない店舗ですが、原宿店を基点にアジアでのビジネス規模が拡大、同店がアンテナショップ的な役割を担っている。

 東アジア地域のMD担当者やバイヤーが、原宿でトレンドリサーチを行うために来日。その際、THDの服を見てビジネスをしたいと畠山氏に直接言って来るようです。取り引きは中国、韓国、香港、台湾の4ヶ国まで広がり海外での売り上げ比率も全体の約30%にまでアップ。

 また場合によっては、日本のショップより多く買いつけるアジアのバイヤーもいます。評価されているのは、日本発信のクリエーション力とヤング、キャリアに向けたMDの内容。日本人デザイナーはパターンやMDなど、総合的にクリエーションができる人材が多く、中国側も日本人デザイナーの実力を再評価しているようです。

 また注目したいのは、中国のアパレル企業、七匹狼集団が畠山氏とディレクション契約を締結し、ビジネスをスタートさせたことです。商社を介さず、中国のアパレル企業が日本人デザイナーと直接契約するのは非常に珍しい形態といえるでしょう。

 同社の基幹メンズブランド「七匹狼」のディレクションを担当するほか、MDやパターン制作などにも関わっている。七匹狼集団の「七匹狼」は、中国全土に約1000舗の販売網があり、仮に畠山氏のブランドである「THD」が店頭に置かれるようになれば、相当な売り上げが期待できる。つまり、中国側とのビジネスが上手くいけば「THD」の中国販売も夢ではなくなったのです。東アジア地域での実績が、確実に自らのビジネスに反映された好例といえるでしょう。

 ニューヨークで行われているアッパークラスの展示会「コートリー」で実績を作った日本人デザイナーが存在します。「キョウコ・ヒガ」「ジン」「ミリ」などが参加しましたが、最も意欲的に取り組んだのが「ホンマ」(デザイナー、本間遊氏)でした。ちなみに前回のコートリー展で、カリフォルニアやルイジアナ、イリノイ州といったショップのバイヤーから買いつけ注文を受けています。

 海外のバイヤーはブランドの哲学を理解するために、デザイナーの生い立ちや出身国を重要視します。デザイナー本人が意識しなくても、日本人というアイデンティティがクリエーションに滲み出る。「ホンマ」の服は日本素材、日本生産が軸。

 シルクやコットンに付加価値のある後加工を施すなど、高いクオリティーがバイヤーの目に止まり、「やっぱり日本生産だったね」といわれたこともあったようです。海外では「日本製」ということが有利に働き 、ビジネスを推し進めていることも見逃せない事実です。


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