Monthly Silk News(絹だより) 
第221号(平成24年8月10日)
発行 財団法人大日本蚕糸会
江戸時代後期の奇才
葛飾北斎・山東京伝の小紋

小紋屋 高田勝 主人 高田啓史   

 私は物心付いたときから、いえそれ以前から小紋のきものに囲まれて育ってまいりました。私の家の家業は先々代が創業した小紋屋です。染めのきものには柄付けの違いや形態によって、振袖、訪問着、付下げ、羽織などがありますが、子供の頃の私にとってきものといえば「小紋」のことでした。しかし身近にあったきものを「小紋」と呼ぶのだと知ったのはずっと後のことです。

 「小紋」は、「小紋型(こもんがた)」という細かな文様が彫られた型紙を用いて型染された染物のことを指し、やや大きな型紙「中形(ちゅうがた)」を用いた「長板中形(ながいたちゅうがた)」などと区別されていますが、現在では文様の大きなものも小さなものも大きさに関わりなく「繰り返し柄付けされた模様」のことを総じて「小紋」と呼んでいます。
 型染による小紋が発達したのは江戸時代の初期、武家の裃に伊勢型による小紋文様が用いられたことによります。こうした裃小紋は武家の衣裳としてより緻密な文様として発達していきました。江戸時代後期になると豊かになった町民の好みで染められた小紋の中におもしろい文様が多数現れてきます。また渡来の文様や伝承の文様も小紋型による染色技法で染められました。これらの小紋文様は共に現在でも受け継がれています。
 一方で忘れ去られ近年染められていなかった小紋文様もありました。江戸後期に、山東京伝が描いたパロディの小紋「小紋雅話」や葛飾北斎が創作した「北斎模様」を当時の文献を発掘して再現いたしました。小紋染による文様文化が花咲いた時代に時の奇才が著した文様の数々です。

 衣裳の変遷と意匠の大衆化

 日本の衣裳の形態は、飛鳥・奈良時代から室町時代にかけては階級によって異なっていました。労働をする多くの人々は筒袖をはじめとする労働に適した衣服を着用していたのに対して、肉体労働を要しない人々は「大袖」と呼ばれる袖口・袖の大きな衣裳を着用していました。代表的な貴族の衣裳として男性の「束帯」や女性の「唐衣裳」いわゆる十二単があります。鎌倉時代以降、武士は貴族の衣裳の形態を取り入れることで自らの権威を表現しようとします。大袖と同様の形態でしたが「広袖」と呼び貴族の衣裳とは区別していたようで現在でも能衣裳は広袖と呼んでいます。
 大袖の下に着ていた衣服「小袖」が外衣化し、やがて桃山時代から江戸時代に入り衣服の形態は身分に関わらず現在のきものの原型である「小袖」となってゆきます。形態自体は武家も町民も同じ小袖を日常生活の中では着るようになってきた江戸時代においては、室町・鎌倉時代に武士が貴族の衣裳を取り入れることで権威を表現しようとしたように、町人の興味は武士の用いた模様・小紋に向けられ憧れを持ったのでしょう。小紋は江戸時代に入ると武家の略礼装・裃に用いられたことで発達していきました。専ら男性のきものなどに用いられている小紋は、やがて男性だけでなく女性にも用いられるようになってゆきます。

 山東京伝「小紋雅話」の時代と衣裳

 山東京伝が活躍した江戸時代後期には、江戸町民の中でも裕福な者の間で、きものに小紋文様を染めることが流行り、独自で洒落た小紋文様を生み出しています。それは幕府の発する禁令にかからぬように、艶を抑えた渋めの地色に趣向を凝らしたものでした。彼らの小紋は具象性に富み、松葉・梅など様々な草花、動物・花鳥風月、そして日常生活に根ざした大根・扇子、本、鞠(まり)、傘など庶民性と楽しさにあふれたもので、多くのモチーフを錐(きり)彫りの小紋柄として取り込んでいます。武家では裃小紋の文様が極小化したものの固定化・形式化して、たのしさがなくなっていったのとは対象的に、江戸後期に小紋が文様としての幅を広げたのは江戸町民の生活に根ざした活力だったといえるでしょう。
 山東京伝は宝暦11(1761)年に生まれた戯作者であり、浮世絵師「北尾政演」としても活躍しました。天明4(1784)年に京伝の作・画で出版された「小紋裁」では、様々な小紋が京伝の感性で解釈や変更がなされて、パロディー風におもしろおかしく表現されています。その小紋裁に京伝自らが24柄を冒頭に増補する形で寛政2(1790)年に出版されたのが「小紋雅話」で、小紋の裂(きれ)を貼り込んだような形態をとって墨一色で図案を刷り、それに文様名や文章を付け加えています。小紋が次第に町人のものともなりつつあった時代背景の中、読み物であった戯作の滑稽を、風刺画ともいうべき見る戯作の小紋集として登場したこの本は、禁令や飢饉あるいは賄賂政治の続く時代の中で町民からもてはやされました。
 当時見立による手拭(てぬぐい)合わせ、宝合わせ、扇合わせなどの遊びが江戸町民の間で流行していたことと、「見立て」「うがち」「ちゃかし」「地口」といった戯作の技法・精神を当時の江戸町民が理解していたからこそ、小紋雅話の小紋も彼らにたのしまれ笑われ喝采されました。日常、見慣れ聞き慣れていることが、方向を変えて見られたり、またその部分をとりあげ、互いに関係のない絵柄がまったく異質であるにもかかわらず、巧妙な組合せで関連づけられた文様は、その一つ一つが、それぞれ意味を持ち、物語を構成してしています。歌舞伎、見世物などの娯楽、吉原に代表される遊廓、祭や名物などの当時の風俗のほか、家具、食材にいたるまで、京伝の視点・技法で描かれています。当時の世相を肌では知らない私たちには少々難解かもしれませんが、戯作の技法に少しふれることで小紋雅話の小紋の面白さをより感じることができるでしょう。
 「見立」 なぞらえること。一見似ていない、あるいは無関係なものものについて、類似点を見いだすこと。
 「うがち」 内面・妙所をあばき機微をつくこと。物や物事を、視点を変えておもしろく見ること。
 「ちゃかし」 冗談、はぐらかし、ごまかし。作者が読者を「ちゃかす」のであるが、読者はちゃかされることを楽しむものであった。
 「地口」同音異義のしゃれ。誰もが知っている言葉を同音の全く別な意味の言葉と結びつける語呂合わせ。

小紋雅話叙

天竺にては鉋屑を見て字を作し。紅毛にてハ牛の涎をミて字をなす。唐の蒼頡は鶏の足跡を見て。字を作たるときこゆ。予ハ亦犬の足跡を見て梅の花と見たて。画なるか字なるか。いつかふ不分物数十を作し。なづけて小紋雅話といふ。是もゝんがアのたぐひにして。何怪かるべし。
寛政
山東 京傳述 印
山東 京傳・小紋雅話叙
山東 京傳小紋雅話叙内容

「本田つる」
(読み下し)本田鶴。一名通の丸とも
当時、通人の間で流行したちょんまげ「本田髷」を上から見た文様で、「鶴」にも見えるので「本田鶴」。「鶴(つる)と「通」(つう)」をかけたことば遊びのしゃれでもあります。
 
本田つる・原本
本田つる・きもの

「うなぎつなぎ」
(読み下し)鰻つなぎ。うらみつらみの地口のようだ。腎虚した人、この裂を褌にして妙なり。腎虚の人とは、精力減退「した人。当時、精力のもとは腎臓にあると考えられていました。こんな文様の裂を身につければ元気が出ること請け合い。鰻の蒲焼きを「串」の字にも見立てています。
 
うなぎつなぎ・原本
うなぎつなぎ・きもの
「めくり襲ね」
(読切なし。アァつかぬつかぬ、座替えでもしてみようみ下し)めくり襲(かさ)ね。この裂、今は絶えて一。
武士が裃に用いる青海波(せいがいは)文様をカルタで表しています。カルタは時代とともに形を変え現在の花札も少し後の時代に生まれたようです。絶えたと言っているのは天正カルタのことでしょう。つかぬ時に座替えするのは現在でも変わっていないようです。
 
めくり襲ね原本
めくり襲ね・きもの
「児びたい」
(読み下し)稚児額
稚児は公家風情の化粧を施し、眉を剃って眉墨で眉を描く。そんな稚児の額は絵馬のようにも見える。
 
児びたい原本
児びたい・きもの
「口々小紋」
(読み下し)口々小紋。一名畜類(ちくるい)小紋。男 もっとこっちへ寄りや。女 主(ぬし)は葱(ねぎ)を喰いなんしたか、いっそう口が臭い。

キスの習慣は江戸時代からあったようです。「畜類」は仲のよい男女をやきもち半分にけなしていう語のこと。当時でも口の臭い男性はもてなかったのでしょうか。
 
口々小紋・原本
口々小紋・きもの
葛飾北斎「北斎模様」と絵手本    
 浮世絵で高名な葛飾北斎(1760生)は全国に散在した門人のための教習本として、また各方面の職人たちのための図案集として数々の「絵手本」を出版しました。有名な「北斎漫画」もその一つです。
 北斎模様の小紋は、文政7 (1824)年に「新形小紋帳」と題されて出版された小紋の絵手本に描かれています。きものが日本人のファッションのすべてといってもよい時代に、後に世界の芸術家に影響を与えることとなる葛飾北斎が創作した小紋です。その多くは北斎自身が創作したオリジナルデザインで、コピーのない時代に筆と定規・ぶんまわし(コンパス)で文様を書き写すために、描き方を示した解説を図柄と共に記しています。
 明治から大正にかけても「北斎模様画譜」と題して復刻出版されていましたが、いつのまにかきものの世界から忘れられていました。偶然にこの文様集に出会った私は北斎小紋の復刻にとりかかりましたが、北斎が描いた小さな小紋パターンを繰り返して染め上がった一反のきものを見たときの感動を今でも忘れられません。
葛飾北斎・新形小紋帳叙
葛飾北斎・新形小紋帳内容
北斎模様画譜表紙
「文の字繋ぎ」
(読み下し)ぶんのじつなぎ法かくのごとし(文の字の繋ぎ方を図解)「文」という字を繋いだ創作文様。
「立涌観世水」(読み下し) たてわきかんせいみづ 法(半円を繋ぐ方法を図解している)
半円形を繋いで立涌文様にすると平面である
はずの文様が浮き出て立体的に見えます。
 
文の字繋ぎ・原本
文の字繋ぎ・きもの
「立涌観世水」
(読み下し) たてわきかんせいみづ 法(半円を繋ぐ方法を図解している)
半円形を繋いで立涌文様にすると平面である
はずの文様が浮き出て立体的に見えます。
 
立涌観世水・原本
立涌観世水・きもの

「四つ手のわらび」
(読下し)四つ手のワらび ごばんかうし(格子)にて かくべし ただし すじかへてか ざねかくべし(右上の図解は)そく方  「?」マークのように見えるのが抽象化した蕨(わらび)です。
 
四つ手のわらび・原本
四つ手のわらび・きもの


 北斎が「新形小紋帳」をみ出版したとき、三十年余り前に出版された山東京伝の「小紋雅話」を意識していたかどうかは分かりませんが、明治初めに「小紋雅話」の再刻本が発行
される際「新形紺名紋帳(しんがたこんなもんちょう)」と北斎の「新形小紋帳」をもじった様な名前がつけれれています。江戸時代後期から明治にかけては、両者のそれぞれ趣向の異なる小紋文様集は共に人々に認識されていたのでしょう。
◎山東京伝「小紋雅話」寛政2(1790)年 ◎葛飾北斎「新高田家所蔵品です。
 小紋のきものは「小紋屋・高田勝」が復刻・創作したものです。形小紋帳」文政7(1824)年 ◎「北斎模様画譜」(新形小紋帳の再摺り)明治17(1884)年 ◎「新形紺名紋帳」(小紋雅話の復刻)明治初(1868) 年……以上4冊は高田家肖像品です。
 
 小紋のきものは「小紋屋 ・高田勝」が復刻・創作したものです。
 
新形紺名紋帳

イベント情報

夏休み 子どもシルク教室2012
1、 手織り体験 「手織り布の手帳カバーをつくろう!」
◎日時:平成24年8月 8日(水) 午前の部 10時〜11時30分/午後の部 1時30分〜3時
2、繭クラフト体験 「繭を使ってミニ動物うちわをつくろう!」
◎日時:平成24年8月10日(金) 午前の部 10時〜11時30分/午後の部 1時30分〜3時
3、染色体験 「ミニトートバッグを染めよう!」
◎日時:平成24年8月13日(月) 午前の部 10時〜11時30分/午後の部 1時30分〜3時
※各体験には、事前に電話で予約が必要です。
お申し込み・お問い合わせ先
日本絹の里 〒370ー3511 群馬県高崎市金古町888-1 Tel 027-360-6300

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