第116号(平成15年9月1日)

 絹のカーテン

絵染めインターナショナル会長/染色デザイナー
        ワシントンDC在住 菊地 エミああ


 「水戸黄門」などの時代劇の場面を思い浮かべれば、なるほど、昔の日本家屋にはカーテンがありません。そのかわり目隠しにもなり、さらに採光や通風のために、窓には障子や雨戸がありました。布製のものでは「のれん」がありますが、あれを「カーテン」と呼ぶのは、ちょっとニュアンスが違うような気がします。

 いっきに時代が飛びますが、どうやら戦後あたりから日本の家にも洋間が増えて、その窓には、カーテンが障子に取って代わり、さらに最近のマンションなどでは、雨戸のない窓も見かけます。

 カーテンを吊る家が増えたとはいえ、どうやら、日本でのカーテンの歴史は比較的に浅く、われら現代人ですらカーテンの知識は少ないはずです。

 たしかに、大正生まれの母などは、カーテンは自分で縫うものだと思っていて、プリーツ分の割り出し計算に苦心していました。

 昭和30年代に私が通っていた兵庫県芦屋市の小学校では、学年度末になるとカーテンを生徒が順番に持ち帰って洗濯していました。パッチンと止める金具をはずせば、白の綿ブロード地の、ただの四角い大きな布で、どう見てもインテリアと呼べるシロモノではありませんでした。

 さらに当時はカーテンレールなど、しゃれた部品すらなく、長いバネのような針金を張って、カーテンを吊っていたように記憶しています。

 一方アメリカは、歴史の浅い国ですが、ヨーロッパの伝統を受け継いで、カーテンの歴史は建国以前から完成しています。それだけに、奥も深くなります。そして究極のカーテンはなんといってもシルクなのです。

 絹の国ニッポンで、絹のカーテンが発達しなかったのは残念なことです。おそらく、カーテンという新しい生活様式が登場し、まずは日よけの機能が優先していた、ちょうどその頃、日光に堅牢な化繊の技術が進んでいたからかもしれません。

 さらに、カーテン歴の浅い我々には、「たかがカーテン」という感覚もあるのではないでしょうか。シルク地を使うなんて、思いも及びません。

 アメリカの豪華なお宅では、カーテンは、日が暮れたら外から覗かれないように閉める「目隠し」以上に重要な役割があります。昼でも夜でも、部屋のムードを作るインテリアの一部、決しておろそかにできません。家や調度の格調にあわせてカーテンを選ぶのです。

 なにせ、アンティークの家具が並び、ナンビャクマン円もするシャンデリアがいくつも吊ってある部屋には、ぺらぺらの化繊のカーテンでは位負けしてしまいます。光沢があって、どっしり、ずっしり、となると、当然シルクに行き着くわけです。

 カーテン作りは、布選びとスタイル選びがポイントになります。インテリア生地のコーナーには、色別に並んだ織柄、染め模様の布がズラリ。化繊あり、綿あり、麻あり、絹あり。いやはや、見ているだけでも楽しい。サービスの行き届いたお店では、ヴァランスと呼ばれる、カーテンの上の部分のデザイン例の見本も陳列してあり、なんとなく、出来あがりが想像できるようになっています。

 カーテンを作ったことのあるかたならご存知でしょう。ただのまっすぐな布にちがいありませんが、されど、カーテン、何十メートルと、驚くほどたくさんの布地を要するのです。材料費はばかになりません。ジャガード織の厚手の絹地となると、1メートル1万円あたりですから、計算してください。

 それにプラス、生地代の約2倍の縫製費用が掛かります。インテリアデザイナーが仲介すれば、さらに費用は膨らみます。

 大きい窓がいくつもあれば、カーテンだけで1部屋につき何百万円もかかったという、びっくりするようなおうちがあるのです。

 何を隠そう、ゴージャスなカーテンの見どころは、布地の豪華さもさることながら、そのデザイン、特に、カーテンを吊ってあるレールのある部分、ヴァランスにありますカーテンレールというブスイなものをいかにして隠すか、そこがインテリアデザイナーの腕前の見せどころというわけです。四角い布を四角い窓に吊るだけじゃ、あまりに能がない。部屋の色調に合わせて選んだお気に入りの布を美しく、イキで、おしゃれに仕立てるのが、カーテンデザインの妙味というもの。

 「風と共に去りぬ」のあるシーンです。主人公のスカーレット・オハラが愛しいレツト・バトラーに再会することになりました。血なまぐさい戦争のあとのことです、生活に明け暮れて、洋服ダンスの中には、まともなドレスが一着もありません。そんな時、眼についたのが、窓ぎわに優雅に流れるカーテンでした。機転をきかせて、ドレスに仕立て直し、スカーレットは美しく装います。あれは、ぜったい、絹のカーテンでなくてはロマンにはならないのです。


 − 第24回国際絹業大会−

イタリアのコモで開催される!

社団法人 日本絹業協会 参与(財団法人 大日本蚕糸会 常務理事) 草野 洋一ああ


 本年の7月14日から17日までの4日間、国際絹業協会(ISA)が主催する第24回の国際絹業大会が、イタリア北部のスイスとの国境まで数キロのところにあるコモ市で開催されました。

 ISAは、繭、生糸、絹織物、染色、アパレル等の製造業者やこれらの流通業者、政府関係者等、シルクに関わる世界各国の人達の集まる民間中心の国際機関で、1948年(昭和23年)に設立され、本部はフランスのリヨンに置かれています。ISA大会は、2年ごとに世界各国で開催されるもので、シルクの生産国と消費国が意見交換する国際的な場となっています。今大会は、23カ国から約180人が参加し、日本からは、(社)日本絹業協会の吉國隆会長を団長として、25人が参加しましたので、その概要を紹介します。

 日本代表団が積極的に発言

 大会のプログラムを表にまとめましたが、見ていただければお分かりのように、開催期間の4日間、繭、生糸、絹紡糸等の原料分野をはじめとして、織物、染色、シルク製品に至るまで、生産、流通全般に亘ってハードなスケジュールが組まれており、連日、各国からの参加者が真剣な議論を戦わせました。

 生糸の輪出国ではなくなって久しい日本の場合、黙っていては情報等は入ってこない状況になっており、今大会では日本からの情報発信を積極的にすることとし、6人の方が各セッションで発表しました。これまでの大会では、概して聞き役に回ることが多かったので、こんなに多くの方が、しかも全員英語でスピーチに立ったので、古くから参加している欧州のメンバーの方々は驚いたのではないかと思います。

 日本の発表を中心に、大会全般について簡単に紹介します。一日目の「全体的な市場情況」は、各国からシルク産業の全般的な動向について発表するセッションですが、まず、団長である(社)日本絹業協会の吉國会長から、日本の絹需給等の一般情勢報告とともに、これから日本の参加者が発表することについて興味を持っていただくように、魅力的な予報を行いました。

 世界各国からも情勢報告がありましたが、生糸、絹製品市況の低迷を訴える国が多く、特に生糸価格について、ブラジルやインドからは、このままでは破滅するとの悲痛な声が出されました。続いて横浜商品取引所の鷲野理事長から、国際生糸のドル建取引の創設等について報告をしました。世界各国の生糸取引関係者に良いPRができたと思います。

 二日目の第1部会(養蚕及び製糸)では、製糸経営者協議会の須藤会長(須藤製糸社長)から、厳しい製糸の現状と、その厳しい状況に対応するために日本の製糸業界が現在取り組んでいる繰糸機の改良研究等について報告をしました。また、三日目の技術調査委員会では、大日本蚕糸会蚕糸科学研究所の清水主任研究員から、研究所が現在行っている研究開発の状況について報告しました。

 この2つの報告に共通することですが、技術的な話題に対しては多くの国が関心を示し、多くの質問が出ただけではなく、スピーチ終了後に発表者の所に来て、更に詳しい質問をしていました。

 中国における生糸検査器械の進展

 三日目の午後は、今大会注目の品質をテーマにしたフォーラムがあり、農林水産省生産局の塩谷地域対策官から、生糸検査器械の開発に関する比較検査等の共同研究について提案するとともに、独立行政法人農林水産消費技術センター横浜センターの川名上席検査技術研究官から、横浜センターが開発した検査器械の開発状況について報告しました。

 フォーラムでは、これまでの大会のように中国生糸の品質についての話題が中心になるのかと思っていたところ、中国側から生糸検査器械に関する研究開発状況と来年までに器械検査に対応した標準を作る予定であることが発表されると、これまで器械検査の導入について提案してきたスイスを中心とする欧州関係者の強い関心を呼び、四日目の第3部会(生糸、絹撚糸の取引)において、スイスを中心とした欧州勢から、中国での検査器械の研究開発を各国が支援し早急な開発を目指すとの決議案が提出されると、ほぼ原案通り採択されたのです。

  日本としては、大会中に中国側とは何度か接触し、今後協力し合っていくことを確認していますが、今後の日中協力の中で日本の技術や考え方を反映していく必要があると思いました。

 そのほかの話題

 イタリアから「セリコ(SERI.Co)」マーク表示の仕組について発表があり、日本でも昨年から「日本の絹マーク」を推進していることから、大変参考になりました。審査に合格した一定の技術水準の製品で、かつ、重要5工程(デザイン企画、撚糸、織り、染め、捺染)のうち、2工程以上がイタリアで行われたことを条件としています。また、国立絹研究所(SSS)からシルク関連用語の対訳集編纂の提案(英、仏、伊、中、日)があり、これには是非対応していく必要があると思いました。

 なお、次回の大会は、2005年に中国で行われることになりました。場所は未定です。

 終わりに

 今大会はこれまでになく各方面からの参加がありましたが、織物、染色、織商等の、いわゆる川中、川下の方々の参加がなかったことが残念でした。欧州を中心として、この分野の参加者は多く、生糸や撚糸の品質等に厳しい意見を述べていますが、日本はかなり前から生糸の消費国になっているのであり、この分野の方々が参加して日本の立場を大いに主張していただくことが、蚕糸業はもとより今後の日本のシルク産業全体にとって重要になるのではないかと思います。


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