第87号(平成13年4月1日)

発行: 社団法人日本絹業協会・ジャパンシルクセンター

絹の服地に魅せられて                  

 たてよこの会 加藤幸子

 ホームスパンで服地を作り始めて4年目に、繭毛羽の紡ぎを習ったのがきっかけで私は絹の世界に魅せられてしまいました。

 繭毛羽のまま先に精練して羊毛と同じようにして紡ぐ、私の頭の中はまさしくシルクのホームスパンでした。出来上がった作品を目にしての感動は今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。これこそ私がずっと追い求めてきた色でした。たてとよこのどちらの色も主張している玉虫色でした。ウールでホームスパンを作りながら私が探し求めていたのはこの玉虫色の服地だったのです。

 それからが本当のシルクとの悪戦苦闘の始まりです。

 私の母もずっとホームスパンを織っていました。

 何時の日か母に追いつけたらいいなと思っていたのですが、急転直下繭毛羽の世界に飛び込んでしまいました。東京農工大学の小此木先生、平尾先生の教えを受け、絹の勉強が始まりました。何もわからないままただただ作品を作りつづけました。

 どうしてこのように絹が好きなのかと考えたことがありました。

 生前の母に3,4歳の頃大好きだった赤っぽい模様のワンピースと、おそろいで出来たパンツの話をしたところ、それは母の古い銘仙で作った姉と私のよそ行きとのことでした。モノクロの写真でしか残っていないのにそのシャリ感と色まで覚えていたのは自分ながら意外でした。そのように現在で言うリサイクル生活が当然だった我が家では母の着物が私たち子供のもんぺやスカート又はネグリジェにと変身していったわけです。

 平成7年には“多摩シルクライフ21研究会”も発足し会員の一員に加えさせて頂き、少しずつ絹の勉強も軌道に乗ったかなと思ったのですが、着物についてのいろいろな伝統や歴史が、手織りの服地にはちょっと当てはまらないように感じられるようになりました。

 先人がいないのなら自分たちで“ノウハウ”を作るより仕方がないと思い、平成8年に“たてよこの会”の結成を呼びかけました。

機を織る加糖幸子さん

 この会は素材から精練、染色、紡ぎ、そして手織りと何でも自分でやりたいのに、どこへ教えを乞いに行けば良いのか、またどこから素材を入手すればよいのか暗中模索の仲間の寄り集まりでした。

 ですからこの会は誰が先生でもなく皆が知っていることを教え合い、作品を見せ色々意見を交わし合う、独り独りが皆先生でありまた生徒なのです。

 今のところ20名くらいの会員ですが隔月に会合を持って情報交換を計っております。

 刺激になればと今までに2回程展示即売会を開きました。

展示会場風景

 ワークスペースでお客様と共に遊びながら自分も何かを学びたいという展示会でした。しかし終了後の反省会ではもっと真剣に即売にも力を入れた方がという声もあり、またひとつ進歩しました。

 それは別として私たちの作品を認めて展示して頂いた所が“ハイブリットシルク展”でした。

 95年には岐阜県蚕糸研究所からの依頼により網状生糸で婦人用ズボンスーツを織らせていただきました。

 96年からは長野県蚕業センターより、毎年作品を取り上げていただき、ネットローシルクや天蚕等興味有る素材に次々にめぐり合うことができ大いに制作意欲をかきたてられました。

 99年からは“たてよこの会”として参加し試作品の糸も提供して頂き、会員にも分け合うことにより作品の幅も随分広がってきたように思われます。

 シルクとの出会いから丁度10年経ちました。あっという間のようですが、その間相談相手であった母にも先立たれ“たてよこの会”のメンバーに支えられながらも今日まで作品を作り続けてこられたのも、物事の節目節目にとてもいい師にめぐりあえた幸せがあったからだと思います。

 失敗した作品でも、鋏を入れ仕立てて身につけてみて、思わぬ良さが引き出された時、こんな時もあるから織りはやめられないんだなあとつくづく不思議な気持ちになります。

 紡いでいる時、織り機に向かっている時、一切回りの音が聞こえなくなり自分自身がその中に入り込み、大げさですが“無我の境地”になる時があります。きっと手織りの暖かさと言われるのは、作者の思い入れも織り込まれていくのかもしれません。

 私の根底にあるのは紳士服地を作ること、35年も前の事ですが銀座で見かけた素敵なブレザーの紳士、忘れもしませんそれは蓑虫のブレザーでした。その質感に思わず足が止まりました。当時は蓑虫がそんなに貴重だとも思っていなかったのですが,後年3万個の蓑虫が必要と聞き究極のおしゃれだとつくづく感じ入りました。

ショール
60デニールで織った婦人服地

 何時の日か街角で振り返って見られるような作品が出来たらと、夢を大きくもって毎日取り組んでおりますが、未だにそのような作品は出来ぬまま数だけは140着といたずらに増して行くばかりです。

 良い仕事をするには健康が一番と体力を維持するために太極挙と社交ダンスを習い、少しでも夢が叶うようにと頑張っています。

繭手羽の手紬ブレザー
天蚕手紬ブレザー

 子育てが終わりその代わりの趣味として始めたような私たちの小さなグループも、少しづつですが成長してきたように思われます。ボケ防止には良いと始めた人も皆一歩一歩前進しています。

 もう少し長い目で私たちのことを見守って頂ければ幸いと思う今日この頃です。2001年3月


シルクと古漢字

中国杭州大学史学科文物博物館学教室 鄭 瑾

元東京農工大学工学部 重松 正矩

5)熟語

  経緯:経は生糸を何本か並べて織機の台上に据え付けた状態を示して“絹のたて糸”を表している、また、緯をは“絹のよこ糸”である。二文字合わせて、縦・横の分割という意味を表す。

  組織:縦糸と横糸を一定の約束のもとに組み合わせて織りあげる織物である。縦、横糸が表に表れる仕組みを組織といったのを活用して、今のような組織の意味が生まれてきた。

  絡繹:絡は巻きつけ、長く連なるという意。繹は糸を紬ぐことである。繭をつむぐような状態で、絶えずに続くことを絡繹という。

  継続:繭糸や生糸の巻き取りの中途で切れると、切れた口へ他の糸口を持ってきて糸継ぎし、引き続き繰糸することを継続といった。長い歴史を経て、今“あとを受けつぐ、つづけること”のような意味を生まれた。

  断絶:断は生糸の束を横に積み重ねたものをおの(斤)でたち切ることを示す語で、絶は同じく生糸を刀で切ったことを表す語である。その二つの生糸を切る語が重なって、今のような断絶の意味に使用された。

  経綸:経は糸を並べて織機の台上に据え付けた状態を示して“絹のたて糸”を表し、綸は糸をよりあわせる意。二文字合わせて、天下を治め、整えるという意味を表す。

  熟練:生糸表面のセリシンを均一に除去するため、熱湯中で生糸が縺れないよう注意しながら揉み、また糸が分繊しない、ほどよい練りあげ加減を決定するまでには長年の経験と鋭い勘を必要とした。それができる技術者を練り達人あるいは熟練者と呼んだことにより生まれた詣である。

 シルクの発生発展により関係する象形文字を初め創造、応用、普及すると同時に、新たな意味が派生され、新たに関連する文字が引き起こされる。たとえば糸は繭から引き延ばし、一つの繭では約 1000から 1500米の糸を続々と出て来るので、その意味で後、孫、胤などの文字は糸が含まれて、子孫後輩は繭から引き延ばした糸のように続々と続く。また、経緯ではよこ糸とたて糸を表すことから、地球の経度、緯度というように地球の縦、横分割に使われ、さらに図書分類中の“経書”、漢方医学中の“経絡”などの言葉も生まれた。

 長い歴史中人々の毎日の生活中で身近に、シルクからたくさん数え切れないほど多い語句と慣用句も生まれてきた。

3.度量制度への影響について

 長い間に使われた寸法の単位“忽、糸、亳、厘、分、寸、尺、丈”及び重量の単位である“忽、糸、亳、厘、分、銭、両、斤”は糸によって定められたものであることについて、中国では多くの学者に認められている。その根拠は春秋戦国の《孫子算経》には“度の起こるところ忽に起こる。その忽を知らんと欲すれば蚕の吐く糸を忽となす…”などを託していることから。先人は蚕の吐く一筋の繭糸の粗さが自然に認識することのできる一番細い、またその細いものを人間が共通できる一番軽いものと決め、これを長さと重さの最小単位忽と定めたのであろう。

 日本の場合、寸法の単位は糸によって決められたことも論証されている。

4.帛書について

 最後に、シルクと古漢字の関係について考察すると、一つ重要のことは、長い間シルクは一つ貴重な文字を書く材料であった。このような絹に書かれた書物を“帛書”と呼ばれている。考古発掘により出土され帛書実物について、最早のものは戦国(世紀前476〜世紀前221年)時代のものと確認された。また、一九七二年に中国湖南省長沙市に発掘された前漠時代(世紀前206年〜紀元25年)の遺跡である馬王堆(まおうたい)から、大量の帛書実物を発見し、特に三号墓では約12万余字の帛書が出土された。その中には《周易》と《老子》など二十八種の文献と世界最古の地図として三枚のシルクに書かられた地図があり、いまでも帛書研究の重要資料として世界中に注目されている。馬王堆出土の文献の中で日本に読者が多いのは《老子》である。《老子》では、宇宙創造に先立って存在した根源的真理(つまり道のこと)を究明し、それに乗っ取って生きることを主眼とし、現実の政治では“無為自然(むいしぜん)”の姿を強調する。後世に中国固有の民族宗教として広い信仰を得る“道教”の始祖ともされている。他に、敦煌などの遺跡も大量の帛書と帛画が発見された。シルクは当時の竹、木、青銅などの文字を書く材料と比べて、小さく、軽く、また巻きやすい、文書の保管や携帯に便利、長さや幅を自由に設定できるなどのメリットがあった。高価であるという欠点を除けば、絹は紙が発明される前の中国で、最も理想的な書写材料であった。

(製糸絹研究会誌第6巻より抜粋)

イベント情報

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4人の染織作家展

現代日本染織美術界を代表する技術と自然素材のあたたかさが心地よくとけあった絹ならではの作品の数々をご覧いただけます。

出展作家

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紅型染 小林昌(ブラウスほか)、草木染 藤田高明(タペストリーほか)、シルクニット 柞木むつ子(半袖セーターほか)、植物染 横山敬司(ストールほか)

と き

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平成13年4月24日(火)〜27(金)
午前10時〜午後6時
(最終日は午後4時まで)

ところ

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ジャパンシルクセンター 
東京都千代田区有楽町1-9-4 蚕糸会館1階
電話03-3215-1212 

編集協力:農林水産省畑作振興課/農畜産業振興事業団